今、なお残る直接民主制による州民議会の伝統が、スイスから消えていく……直接民主制とは、住民全員参加による議会のこと。住民が直接、法律や予算に賛否を表明するしくみで、スイスでは中世以来、続いている。しかし、その伝統ももはや風前の灯。ここ数年のうちに、住民投票によってこの制圧の廃止が次々に決まっていった。一九九七年には、残りわずか三州のみと伝えられた。廃止の理由としては、観光の対象となり、形式化されてしまったことや、あまりにも短時間の表決で民意が本当に反映できているのかという、不信の念が背景にあることから。さらに実際、近年は出席率も低下していているという。議会は野外で行われ、参加者のまわりを観光客が取り囲むという状態の中、州の予算などの重要事項を挙手で決める。賛成多数は議長の目分量、異議はほとんど出ることはなく一時間程度で終わってしまう。しかも挙手による投票なので投票の秘密が守られていないし、議会の間中、立ちっぱなしということもあり、お年寄りや病人は出席は不可能。一般的に年一回開催される州民議会では、州の首長・閣僚や年間予算の承認等、最重要課題のみ採決されるが、通常の議事や決定は別の議会で行われているのが現状。「こんな形式だけの議会はもういらない」といったところだろう。廃止を決めた州の中には今後、政策の決定は投票箱を使って投票が行われるところもあるいう。「投票の権利」を示す剣を携えて、議会に現れる男性や荘厳な音楽を奏でる楽隊に続いて、登場する行政責任者や裁判官、来賓のパレード……。そんなスイスの風物詩が消えてしまうことを嘆く人々もいるとか。
パリという都市は、基本的に「歩く」街だ。おおよそ「歩き易さ」という点では、世界の街で、パリの右に出る所はない。街を歩いて道に迷ったとしても、しばらく歩けば心配はない。ものの200メートルも行けば、必ず「Metro」(地下鉄)の入口にぶつかるからだ。そこで駅名を見れば、今自分がどこにいるかが分かる。間違った方向に進んでしまったら、メトロで引き返してもいいし、歩き疲れたら、そのまま目的地まで乗ればいい。Metroは「歩く」補助手段として、極めて人間的に設計されている。さて、歩いているパリの街だが、これが非常に面白い「構造」をしている。分かりやすく言えば、パリはひとつの街ではない。「カルチエ」(地区)と呼ばれる個性的な町が、パリの中央を貫流するセーヌの両岸にひしめいて、パリの中心部を形成する複合都市なのである。そして、各カルチエには街区ごとに、下に店舗、上にアパルトマンという構造のビルが立つ。そして、表通りからは見えないが、そのアパルトマンには、必ず広い中庭があり、そこに住む人々が、テラスに腰かけながら見下ろす共同空間となっている。アパルトマンの1階にはその街区を囲むように美容院、クリーニング、八百屋、カフェなどが軒を並べ、その集合体がひとつの「小さな町」になる。つまり、パリの街は分かりやすく言うと、次のような「構造」になっているのだ。
沖縄に多い姓は、比嘉、金城、大城、宮城、新垣という順になっている。NTTの電話帳で調べると、この5つの姓で約4万近くが登録されている。どれも同じ地名が存在する姓だ。「それじゃ、金城さんは金城町出身?」。この答えは、王朝時代にさかのぼる。当時、士族は王府から領地を与えられていて、その領地名を姓として名乗っていた。例えば、玉城間切という領地を与えられると玉城という姓を名乗ることになる。その姓が、明治以降に実施された戸籍法でも姓として登録されたわけだ。では姓を持たなかった農民層はどうかというと、これは一概にはいえない。なぜなら、土地と姓の結びつきがはっきりしているのは、士族の子孫だけ。彼らは王朝時代からの「家譜」と呼ばれる家系図を持っているからだ。ただ、農民が明治に入って姓をつけたとき、士族と同じように住んでいる土地からつけたり、領主の名前にあやかってつけたりということが多かったらしい。それで、自然と農民に関しても土地の名前がそのまま姓になるケースがよく見られたようだ。