ユニクロの生産体制は、経営手法はアメリカ式。デザインは主としてニューヨークからのファッション情報をもとにおこされる。それを東京本部・企画・デザイン部門が、クリエートすることになる。またバイインダは香港、モノ作りは東南アジアおよび主として中国(商品の九割は中国)。現在、提携先は六〇社、八〇工場といわれるが、二〇〇三年八月期までには一〇〇社、一四〇工場ぐらい広げる。輸入量もいまの六六%増を計画している。加えて、生産体制を強化するため、ベテラン技術者で構成する顧問チームを中国に派遺、品質管理の徹底や現地の若手技術者育成を組織した。顧問チームの業務を「匠プロジェクト」と呼んでいる。チームは一〇名前後、二〇〇三年八月までには約四〇名を増強する。主に編み、織布、染色、縫製など各分野に三〇年以上の経験を持つ熟練技術者と嘱託契約を結んで組織したもので平均年齢は六〇歳。縫製担当は中国に常駐、他は月の半分程度中国へ出張という形態のようだ。ただ、同社専属だけでないので大手アパレルのイトキソ、小杉産業、セシールなど競合他社のものも生産しているところもある。
二〇〇一年度の売上高は二八七三億円対前年比伸び率は一ハ%、経常利益が一三・四%増の二二四億円に達している。これはオンワードや三陽商会などが業績の面で停滞しているのに対して驚異的としか、言ようがない。二〇〇一年一〇月初めの三ヶ年計画によると、売上高二千五百億、経常利益五百億円を目指す。と強気の戦略を打出している。将来は車いすを利用する人のための衣料や高感度ブランドを手掛けたい意向も示している。同社の内規だと社長は六〇歳。ファッションビジネスは感性が必要なので六〇歳までという。ところで上田稔夫社長とはどんな人物だろうか。旧ファッション専門店「三愛」の出身である。独立していまの会社を設立したのが一九七六年というから二五〜六年の歴史しかない。最初はアパレル卸であったが、一九七八年に初めて小売店を開設した(札幌)。以来、コムサデモードというブランドを発足させ翌年ペイントソプレスというブランドで百貨店主体にインショップ展開を図ってきた。ことに伊勢丹、西武、大丸、高島屋、丸井などが主力である。上田も三愛出身だけにつねに発想の原点を小売経営におく。だからアパレルの経営者であっても「アパレルのオヤジと思ったことはない。店のオヤジがたまたま商品を作って」という感覚でいられるのだ。ここが一般のアパレル経営者と根本的に異なる部分であろう。
カジュアルウェアを考えるとき、この時代のアメリカのうねりは大切で、特徴を総括すれば、服の単純化と全体に服がふっくらとしてきたことであり、これは男の服が、ひと昔前の角ばった英国スタイルから脱皮したことを意味する。角から曲線への改革こそ、クラシックからカジュアル化へのひとつの移行であり、体のラインを角ばったラインで隠すことなく自然に表現することは、例えばアメリカのナチュラルショルダーをそなえたスーツスタイルにも現れた。その意味で、極端なことをいえば、アメリカのすべての衣服は、ヨーロッパに比べればカジュアルで、これは外面的には英国の服のように規律に縛られない自由を求め、内面的には自由な着心地という、アメリカが愛するふたつの自由を服に対して求めた結果であり、それがカジュアル化につながったのだ。自由が、曲線で表現されたのだ。ここで、またひとつ定義できる。